今日は久々の今日は何の日?
1733年(亨保18年)のこの日、隅田川の両国橋付近で水神祭りの川開きが行われ、慰霊を兼ねた花火が打ち上げられた。
これが「両国川開きの花火」の始まりであった。
この年は第8代将軍・徳川吉宗(1684~1751年)の治世で、全国的に凶作に見舞われ、大飢饉になったうえ、コロリ(コレラ)が大流行して多くの死者が出た。
この犠牲者の慰霊を兼ねて打ち上げられた花火は、やがて庶民の楽しみとして定着した。
その後、江戸を代表する花火師の屋号である「玉屋」と「鍵屋」が技を競うようになった。
両国橋を挟んで上流を玉屋が、下流を鍵屋が受け持ち、交互に花火を上げる二大花火師の競演であった。
この時、花火師を応援する声として「たまや~」「かぎや~」の掛け声が生まれた。
両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦、その後、昭和に入ってから交通渋滞など交通事情の悪化、隅田川の水質汚濁による臭害などにより中断された時期もあるが、1978年(昭和53年)に現在の「隅田川花火大会」に名称を変えて復活し、以後毎年開催されている。
東京を代表する花火大会として、隅田川花火大会のほかに、神宮外苑花火大会、東京湾大華火祭があり、これらは「東京三大花火大会」と呼ばれている。
また、「日本三大花火大会」は、秋田県大仙市の全国花火競技大会(大曲の花火)、茨城県土浦市の土浦全国花火競技大会、新潟県長岡市の長岡まつり大花火大会とされている。
5月28日は、「花火の日」です。
夏の風物詩である花火の歴史は古く、はじまりは紀元前3世紀まで遡ります。
およそ2千年前の中国で、花火の火薬となる硝石が発見されたのです。
そして日本に花火がやってきたのは江戸時代のこと…。
職人たちの手によって幾度となく改良が行なわれ、現在の花火ができあがりました。
今回は、花火の歴史と逸話をご紹介します。
江戸で大流行の花火!初めて花火を見た人物って?
日本で初めて花火を見たのは徳川家康
日本で初めて花火を見たのは、徳川家康であると言われています。
中国の商人がイギリス国王の使者を連れて徳川家康を訪ねた際、中国人によって花火が立てられました。この時に立てられた花火が中国製かイギリス製かは明らかになっていませんが、初めて日本で立てられた花火は外国製のものでした。
このように、はじめは外国製の花火を立てていましたが、後に国内でも花火の生産が始まります。
新しい物好きの江戸っ子の間で、花火は大流行…。
しかし一方で、花火が原因の火事が多発することになってしまいました。
「これではいかん」と思った江戸幕府は、「花火禁止令」を出します。
江戸時代の家屋は木材や紙でできていたため、火災が発生しやすかったのでしょう。
私たちも花火をする際は、火の扱いに充分注意しないといけませんね。
隅田川の花火大会。花火に込められた想い
隅田川上空に咲く花火
隅田川で開催される花火大会が初めて行われたのは、1733年(享保18年)の5月28日。
前年の飢饉とコレラの流行により、およそ1万2千人もの死者が出ました。
その霊を弔うことを目的として、隅田川で花火が打ち上げられるようになったのです。
現在日本で行われている伝統的な花火大会は、「戦没者慰霊」や「災害による死者の供養」などを目的として開催され始めたと言われています。
他にも「豊作祈願」のために花火を打ち上げる地方もあるそうです。
このように、花火大会発祥の理由はその大会によって様々です。
みなさんも花火大会に行く前に、発祥の理由などを調べて見てはいかがでしょうか。
毎年見ている花火が、ちがった風に見えてくるかもしれませんよ。
楽しみ方が違う?海外の花火事情
しかし、面白いのは国ごとに花火の楽しみ方が違うということ。
イタリアやスペインでは、花火が上がる「音」を楽しむのだそうです。
花火が打ちあがる音が小さいとブーイングまで起こるのだとか…。
どうやら花火が爆発するときの音だけを競う大会もあるそうですよ。日本の花火大会は「鎮魂」から発祥したものが多いのに対し、海外は「祝い事」から発祥したものが多いことが関係しているのかもしれませんね。
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