最近やっとこさ見ましたよーー!!!!
とりだめしていた、映画たちを。。。。
その中でもやはり、ここ堺の有名人である千利休が主役であります
『利休にたずねよ』
という、ものです。
利休にたずねよは、直木賞を受賞した山本兼一さん原作の歴史小説です。
16世紀の茶人・千利休の従来の人間像に疑問を抱いた作者が、大胆な仮説をもとにラブストーリーを描きだしたこの映画は、
主演 利休 市川海老蔵 妻役 中谷美紀
三井寺 大徳寺 神護寺 南禅寺 彦根城 といった国宝級の建造物でロケが行われていたそうですよ!!!
そんな映画の内容は、知っている方も、知らない方も、おられるので内緒にしておくとして、
少し今更ながらに千利休についてですよ(^^♪(笑)
利休は大永2年(1522年)に和泉国堺の商人・納屋衆田中与兵衛の子として生まれ、本名は田中与四郎だそうです。
若い頃より茶の湯の道に入り、長じて今井宗久・津田宗及と共に‶天下の三宗匠″と呼ばれていました。
永禄12年(1569年)以降に、利休は今井宗久らによって茶の湯に目覚めた信長の茶頭の一人としてスカウトされました。
この時期の利休は、信長の茶の湯の政治利用の有力な協力者として活躍し次第に地歩を固めていき、それは
信長と持ちつ持たれつの関係を維持することに全力を挙げていた堺の商人たちの力も大きくなっていきました。
しかしながら、天正10年(1582年)に本能寺の変がおこり、信長がいなくなり次の権力者になったのが豊臣秀吉でした。
引き続き茶頭にと、乞われ利休の茶の湯は一層政治の道具となっていきます。
このころから利休の茶の湯は多くの政治経済界の有力者の知己を得て、茶道として簡素な芸術性を求める方向(わびさび)に変わっていきました。
しかし利休は、従来通りに「政治の道具」「権力の象徴」として使い続ける秀吉の俗物根性に嫌気がさし始め、利休と権力者秀吉との距離は徐々に開いていきます。
そんな中、天正18年(1590年)に北条との小田原の戦いの陣の中で、追放中の一番弟子の山上宗二が秀吉によって惨殺される事件が起こったのをきっかけに、はっきりと秀吉を拒絶し始めます。
次の年秀吉は逆らってばかりの利休を疎ましく思い排除を求める声も取り入れて、言いがかりをつけて、蟄居・切腹を申し付けます。
しかし、秀吉の本心は、謝罪さえ入れれば死罪にはしないつもりだったと考えられますが
利休は、秀吉への謝罪に応じず死罪を受け入れています。
こんな凄い人が堺にいたなんて、素晴らしいですね。
まだまだ、これからもっと堺のことについてしらべてみたいと思いますよ\(^o^)/
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